自己紹介*オリジン



 
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こんにちは。そしてはじめまして^^
おはなキャフェのオーナーパティシエ畑山明子(はたやまあきこ)と申します。

 

ちびっ子の将来なりたい職業ランキング1位のパティシエ(ケーキ屋さん)の仕事をしています。

最近は 家業である型枠業の仕事のほうが主になっていますが、夫の手伝いでヘルメット被って工事現場入りしていますがまだ引退はしてません(~_~;)

 

そんなわたしによく質問されることは・・・

 

昔からケーキ屋さんになるのが夢だったんですか? "

 

 

いいえ。子供ときの将来の夢は料理人!

コックさんになることでした。

 

 

洋菓子の道に進むと決めた18才の頃。

独立して数年後、何度もやめることを考える時期に直面したり。紆余曲折ありながらいまだに細く長くこの業界の片隅でも仕事を続けられていること。振り返っても奇跡のように思います。

 

 

そんな昔話を交えながら 自分の備忘録を兼ねて、ところどころ割愛しながらw  

明るい話もあるけど、暗いダークな話も入り混じってます。

 

それも全部ひっくるめてわたしのオリジン。

 

書きだしてみたら、楽しくなってきてかなり長くなってしまいましたが。

 

まっ、いっか(笑)

 

ご興味ありましたら時間がある時に読んでくださいね^^

 

 

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1974年10月、徳島県徳島市生まれ。

多趣味で何かと厳しい両親の元に生れる。

5歳下に元パティシエの妹がいます。

 

幼少期より母の影響で料理を作るのが好きでした。

 

小学6年生の時、いとこのお姉ちゃんに

「そんなに料理作るんが好きなんだったら料理人になったら?松西の食物科に入ったら料理が学べるよ」っと教えてもらいその日から将来の夢ができる! 

 

 

 

◼︎地元徳島県の小松島西高等学校 食物科に入学。

 

 

高校入学して、友達から初めて「一緒に写真撮ろう!」と誘われた思い入れのある写真。嬉しかったなぁ。

 

1年生は日本料理、2年生は中国料理、3年生は洋食を学び、最後は学生ながらに調理師免許を取得する(取得しないと卒業できない)

 

3年生の進路を決める時期が来て、色々学んだけど「歳をとったら最後は和食に戻るよなぁ!」と考え 和食の世界 に決める。

 

だけどその後、最終進路でつまずいて

 

和食 → 洋菓子の世界へと進路を変える。

 

 

理由は割愛しますw

 

 

◼︎1993年4月 大阪あべの辻製菓専門学校へ入学。

基礎知識と技術をみっちりと勉強する。

  

翌年、さらなる技術向上を目指して進学のための受験を受ける。

 

◼︎大阪あべの辻技術研究所へ進学。 

 

 

 

1年目はグループ実習だったけど、2年目の実習授業はすべて一人で作るので持ち帰りのケーキやパンが大量。。。実家に送ったり(家族は大喜びだったなw)、道を歩いてる見知らぬ通行人にあげたり(みんなよくしてた)

  

 

卒業後は、大阪の洋菓子店へ就職が決まるが、その頃 母が脳梗塞で倒れたので、当時中学3年生の妹には荷が重いので急遽地元の大手洋菓子店へ面接に行き就職。

 

 

急遽帰ることになったらの、就職募集期間は終わっていた。。

「入社後に移動は可能!」と言ってくださったので、どこの部署でもいいので入れてください!と頼み込む。

 

社会人1年目の配属部署はレストランの厨房でした。

 

そこではイタリアンのシェフの元、洋食を学んでた。

半年くらいしてからかな?次の就職募集が始まる頃に出遅れてはいけないと、洋菓子製造の工房への移動願いを出す。

 

同期と半年遅れで念願の工房へ。

嬉しかったし、とにかく楽しかった!

 

途中までは・・・。

 

ここも割愛しますw

 

 

入社した時は4店舗だったけど、辞める頃には10店舗超えてた?くらいに増えてたと思う。もう覚えてないけど。

 

 

 

当時のチーフが、「ここでの一年は個人店の3年に値する!」というほどの、男も女もない厳しい環境下での修行時代を5年間送る。

 

修行時代のパティシエ秘話は、ネタが多すぎるので追い追いブログに書いていこうと思う。

 

ええ、赤裸々に!( ̄▽ ̄)ニヤリ♩

 

もう時効でしょ!

喋るで!わたしはw

 

 

当時のわたしの座右の銘は・・・

無理はいかんが、無茶はいい! "

 

ちょっと頑張りすぎたようで

その結果、無茶をしすぎて体中の神経を全て痛め、膝が自分の体すら支えきれなくなり最後は立つこともできなくなり寝たきりに・・・。そして退社する。

 

はじめに腰を痛めた。

もうこれは登竜門だね。みんなここから始まる。わたしの場合は、

腰をかばって腕力だけで持ってたら、腱鞘炎になって、手首、肘、肩の順番に痛めていって、そのあとは肩甲骨まで痛くなり、最後は膝がぷるぷるして自分の体重が支えきれなくなった。

 

うん、ただのバカだよねw

 

会社辞めたあと、1日のほとんどを寝て過ごしました。。。

手を引っ張って貰わないと起き上がれなかったし、トイレ行く時は悲惨だったな。うめき声をあげながらほふく前進してたもんなぁ・・懐かしい(遠い目)

 

 

もうパティシエの仕事はハードだし戻れないと半ばあきらめていたけど

毎日の接骨院 通院、プールで歩くリハビリ、家業の鉄工所の仕事をリハビリがてら手伝っていたのでそれがよかったみたいで無事社会復帰できた。

 

そして声がかかって洋菓子店へ再就職。そして退社。

 

 

製菓専門学校時代の香川県のパティシエ仲間が、自宅の養鶏場の一部を改装して小さなケーキ屋さんを始めていました。何それ?すぐに彼女に会いにいった。

 

その話を母にすると、わたしにもすすめてきたのがきっかけで

 

 

 

 

 

2000年12月21日

自宅 鉄工所の中の一部を改装し、保健所の許可を得て

「鉄工所の中の小さなケーキ屋さん」パティスリーあっこのキッチンを26歳の時に独立開業。

 

小さいながらに自分の城を持つ。

すごく嬉しかった。

 

けどオープンするまでに色んな業者さんと関わるようになるのだけど

世間知らずの小娘のわたしは足元をみられまくるという。

 

あの頃は親が生んでくれた自分の童顔が

商売をはじめる上ですごく嫌だった。

 

 

開業秘話もありすぎるから

また追い追いブログにでも書きますね。

 

 とりあえず割愛w

 

 

 

今の時代、自宅の一部を改装したケーキ屋さんは珍しくないけど、あの頃はレアだったから珍しがられたっけ。

 

鉄工所の中にケーキ屋さんがあるって?!(゚o゚;;

 

クリスマス目前のオープンだったので、年内はいちごの生クリームのクリスマスケーキしか商品がなかった。その代わりジェノワーズ生地は当日焼きにこだわりました。

 

焼きたてのジェノワーズ生地を冷蔵庫には入れず、常温でゆっくり冷ます。そこに良質生クリームとフレッシュ苺で仕上げたふんわり出来立てのクリスマスケーキ。

 

クリスマスにスポンジの当日焼きってない。

最高においしいクリスマスケーキの出来上がり。

 

 

商品1品からのスタート

 

年が明けてから焼き菓子を焼いて少しずつ品数が増えていきました。

 

 

 

 ◼︎狭いスペースの厨房。

 

 

ここらへんも割愛w

秘話はまたブログに書きますね。

 

焼き菓子とバースデーケーキの店です。

 

  

 

 

正面左の通路横から奥に進んで行くとドアがあり、そこを入ると工場の中。その奥に突き進むとわたしの城があるのです。

 

この時代から今も通ってくださっているお客様もいるのです^^

 

 

" 借金はせずに、店は自分の持ってるお金ですること! "

 これが父の条件だった。

そして冷蔵庫のリースすら組ませてもらえなかった。。(T ^ T)

 

 

あの頃、貯金は全部 必要最小限の店の運転資金に突っ込んだから外装や看板とか業者に頼めなかった。

 

昔ながらの茶色い木目調のトタンが嫌で、自分でアイボリーのペンキ塗りまくった。途中ペンキが足りなくなってそのまま放置。かっこ悪くても仕方ない!

 

店の看板も家の鉄工所に転がってる廃材もらって目立つように赤いペンキ塗って屋号書いて手作りの看板を作った。手作り感満載のDIY。

 

 

 

この頃、友達に夜ご飯誘われても、お金ない!って断るのが嫌だったから、わざと家でご飯いっぱい食べて水もガバガバ飲んでから行ってた。

 

「お腹空いてないんよ」って言ってドリンクだけ飲んでた(笑)

 

今だから言える話!

てか、今 暴露したw  

 

 

 

はじめから利益が出るわけもなく、生命保険も解約して家にお金も入れれず、お小遣いもない。

 

早朝5時から小僧寿しのシャリ移動のアルバイトをして

戻ってきてからケーキ作って、店番を母親に任せて

 

家業の鉄工所の手伝いに時給を打ってもらい

仕事を3つ掛け持ちしながら両親や友人知人、メディアの力をお借りして口コミでやっていました。

 

 

 

現場にでたり家で加工したり。この時期に父に溶接を学ぶ。

写真は、地元のTV取材で昔のことを紹介してくれたやつです。

 

 

数年後、建設業の夫と結婚してまたアーク溶接をすることになるとは思ってもみなかったけど、この時の学びが夫の役に立っているので今思えば父親からの花嫁修行だったんだろうね。

 

 

家業の仕事が終わって夜になったらまたケーキの仕込みして。

毎週日曜日は、朝6時からびっくり日曜市に出店。

2、3年くらい出してたっけな。

 

そんな生活から少しずつお金も貯まり、家にもお金が入れれるようになり念願の縦長の冷蔵庫を買いました。

 

 

 

◼︎売り上げたお金を貯めて初めて買った冷蔵庫。

 

当時はこれをショーケース代わりにして、日替わりで2〜3品のケーキを入れていました。この子はよく働いてくれた♩お店が今の形になってからはバックヤードの隅の食器棚みたくオブジェと化したので友達にお譲りした。

 

その後 念願の4枚扉の大きな業務用の冷蔵庫も購入。

毎度のことながらリース組ませてもらえなかったのでもちろん買取ね。。。(~_~;)

 

 

極論!

見栄を張らなければ、小さくても自分の城 (店) は持てるんだ!

 

ということにたどり着いた。

 

 

 

それから数年後、ある人から「お守りに!」といっていくつかの石をもらった。それがきっかけで天然石にはまる。そして「いつか石屋になってやる!」という夢を抱く。

 

 

 

30歳のとき、家で仕事中の父が大怪我をして頭を強く打って血まみれで倒れているのをケーキを取りに来たお客様が発見してくれ救急車で運ばれる。父は顔の怪我と共に頭を強く打ったことで痴呆症を発症し、そのまま仕事復帰出来なくなりました。

 

退院した父との暮らしがスタートしたんだけど、カラダが元気な痴呆症の父を自宅で介護するのがとてもキツかった。

介護疲れ。。精神がすり減っていくってこういうことなんだろうなって思ってた。。。

 

施設に入れず家で介護されてる方、ほんと尊敬します。

わたしはできなかった。。

 

父の痴呆ネタもいっぱいあるけど割愛w

 

 

ある時、母に膵臓癌が見つかり、余命一ヶ月と言われる。 

 

借金を残して 家も店も両親も 全て奪われるかもしれないという 恐怖と共にどん底へ突き落とされる中、父が倒れて半年後に今度は突然の母の死。

それを境にプチ鬱状態になる(診断されたわけではないけど、あの時を振り返ったらそうだったかもなって話)

 

昔から仲の良い男友達だった今の夫。

彼のお母さんとも仲良しだったから(今は義母)心配して息子(夫)に毎日わたしの様子をみにいかせてた。あっけらかんとバカな話をして元気をくれる人なので、少しずつ笑えるようになったのは彼のお陰だと思う。

 

 

その時に出会ったレイキ、ヒプノセラピー、カラーセラピーなどを学びに県外に出るうちに、

ずっと封印されていた自分の中のスピリチュアルな部分が開花する。

  

その後、お店をリニューアルして心機一転。

店名変更して「癒し」をコンセプトにした

"洋菓子&天然石専門店"のケーキ屋

食と心のヒーリングショップ〜おはなキャフェに店名変更。

 

 

 

その後、父が他界する。

 

 

 

リニューアルオープンして一年後くらいかな?

とあるご縁で 某スイーツ専門店の立ち上げに深く関わり、そこで商品の企画・開発、パティシエ育成のお仕事を約一年ほどしていました。

 

 

一年後、36歳の時に型枠大工の夫と結婚。

 

38歳で第一子長男を出産する。 高齢出産である。

 

 

自営業なので生まれる一ヶ月前まで働き

出産後は4ヶ月目から仕事復帰。

 

 

 帰る場所があるのは嬉しいことだけど、女の人が子育てしながら第一線で働き続けることの難しさにこの後 子供の成長と共に思い知らされていく事になるのでした。

 

 

 

抱っこ!抱っこ!星人の頃のジュニア。

保育園から帰ってきても仕事がまだあるので抱っこはできん!

昭和の母ちゃん丸出しの一枚w

これで接客もしてました。 

 

 

子供は生まれたらフツーに育っていくと思ってた。

 

息子は1歳半検診で引っかかり専門機関に関わることとなり、発達の遅れが少しあることを指摘される。

 

 

 

 

◼︎3才6カ月から保育園と併用で週二回のグループ療育がスタート。

 

 

 

 

同じ悩みを待つ保護者との出会い

◼︎保育園を退園し、療育一本にするため児童発達センターに入園。

ちなみにこの写真、入園式の真っ只中です。

 

多動がひどくて椅子に座っていられないジュニアが席を立ってウロウロしてる図。後ろは在園児とその保護者。

ほんとだったら恥ずかしいとかあるんだけど、さすが療育現場。

 

ほかの入園児もみんなウロウロ。誰一人として座ってる子がいない。それでも気にせず進行されていく。保育園の時はすごく肩身が狭かったけど、やっと居場所を見つけた気がした。

 

当時の園長先生が入園式でいった言葉を今でも覚えている。

今こうやって席を立っているお子さんも、うちを卒園する時にはみんなちゃんと座れるようになっていますから、安心してください。

 

それほんとに?

泣きそうになった(T ^ T)

 

 

 

 

◼︎隣で寝ているはずの子どもの寝相が悪すぎる件。

朝 べっちゃっと臭く湿ったものが顔にあたる不快感で目が覚める・・。これが日常茶飯事。

 

 

息子が4才4か月の時に、自閉症スペクトラムと診断される。知能は1才8か月だとか。(療育手帳B1)

 

父ちゃん、母ちゃん、ワンワンとか簡単な単語は全く言わない。

嫌!も言わない。

 

口から発する言葉は宇宙語。

ラリラリラリラリ〜〜〜!!

全く何を言っているのかわからない。

意味のある発語がなくて喋れない。

 

あぁ、この子は一生喋れない子なのかもしれない・・ 

多動は酷いし、謎に壁に頭ブチつけるし、気に入らなければ叩く、噛み付く。

一人遊びしかしないし。ご飯食べてても離席はするし。

保育園ではお昼寝の時間に全く寝な子だった。家でもなかなか寝ないし。

 

それでも、園長先生は大丈夫!お母さん心配しないで!と言う。

 

 

子供の発達障害ネタもいっぱいあるからこれも割愛w

 

 

結婚したら自分の欲しいタイミングで子供ができると思っていた

 

けどできなかった。。。不妊治療まではしなかったけど、ジュニアを生んだ後、二度の流産を経験する。

 

独身の時は「早く結婚しなよ」と言われ(ほっといて!)

結婚したら「早く子供作りなよ」と言われ(ほっといて!)

生んだら生んだで「二人目作りなよ」と言う(ほっといて!)

 

できなくて悩んでる時に自分がいわれてすごく嫌だった言葉。

 

今はもうそんな無責任なコトバは誰にも言わなくなったけど。

独身時代、軽い気持ちで誰かに言ってなかったかな?と心配になる。

言ってたらほんとごめんね。。。

 

 

 

我が子の発達障害がわかった時、わたしは毎日泣いていて

ちゃんと生んでやれなかった自分を責めていました。

そんなわたしに夫が言いました。

 

お前はそうやって泣くけど、ジュニアを見てみ?あいつ毎日めっちゃ楽しそうでないか?自分が発達障害で生まれて辛そうか?

 

ケラケラ楽しそうな声を上げて笑ってた。

 

あの子にできることをしてやろう!

 

そう二人で決めました。そして保育園から療育一本にきりかえる時にケーキ屋をやめることも考えていたけど、やめてしまうのはもったいない!と。

 

ジュニアのことを1番にして

2番に家庭

空いた時間で仕事したら?

俺が二倍稼ぐけん!

 

といってくれた漢気が何よりも嬉しかった。どんな形であろうともパティシエという仕事を続けさせてくれようとする夫。

 

10:30~14:30  で終わる療育。。

毎週 親子通園もあるし

限られた時間の中でどうすればケーキが作れるのか?( ̄◇ ̄;)

 

そこから

バースデーケーキの製造をやめ、在庫もゼロ。

お客さからのオーダーも受けない。

完全予約制のゲリラ販売がこの時に生まれました。

  

 



あの頃のわたしはケーキを作ることよりも夫との約束どおり愛息子と関わる時間のほうを大切にしていました。だから営業スタイルも、ケーキ屋の常識を完全無視した今までと全く違うカタチへ。 

 

 

うちの二本柱の天然石部門では、エネルギーの流れをよむ?みる?という個性を生かし、独自のストーンリーディングであなたの潜在意識に眠る声に耳を傾け、がんばるあなたをサポートしてくれる石をお選びしブレスレッドや勾玉のネックレスなどを作成しています(現在は紹介制)

 

 

 

2016.08.08    株式会社 章(アキラ)を設立。

 

夫が代表をしている建築業の「AKR」と、わたしが代表をしている洋菓子店の「おはなキャフェ」を一緒にした会社です。

 

事業内容は、建築、土木、型枠工事一式、洋菓子製造・販売、天然石、アクセサリーの作成販売、その他です。

 

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今は型枠大工である夫の仕事を手伝って、弊社建築部に8割ほど在籍。ハンマー握って工事現場に入ってます。本業のケーキ屋は2割。

 

 

型枠パティシエとして家業の仕事を優先してるので、お客様からの日にち指定のオーダー(誕生日ケーキなど)が受けれません。。。

 

※建築に入ってる間はケーキ屋は休みです。

 

これが、毎日ケーキ屋が開いてない、電話対応ができないというカラクリです。

 

けど、12月だけは最優先でケーキ屋に戻ってクリスマスケーキを製造してます。

 

 

そして、自閉息子の自立に向けた親勉に夢中です。

何が正解なんてよくわからないけど、確実にジュニアは伸びてると思う!

うん、そう信じてる。

 

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コロナ禍になる3年ほど前から年に4回、発達障がい児者対象のらいおん親子クッキング教室を主催してました。

 

参加者は全員、さまざまなハンデをお持ちの障がい児(者)の方だけ。参加条件は、療育手帳、障害児通所受給者証、障害福祉サービス受給者証などをお持ちの方が対象。
健常者のご兄弟の参加OK!としていました。

 

なので気兼ねなくご参加いただけます。走り回るのは当たり前だし、大きな声をだしてしまったり寝そべって時には泣きだしてしまうこともあるけれど、みんな同じ。

 

脱線しながらも何かをやってみることはお子さまの好奇心を育てまた自信にも繋がります。そして思い出は色褪せないかけがえのない宝物となることでしょう。

 

 

自分の子供が発達障害で生まれ、わたし自身が子育てをする中で、定型発達の子と同じようにいろんなことを体験させてやりたい!だけど、我が子は多動はひどいし、じっと座っていられない、言葉は単語。よその子を叩いたりして大変だった。。。

流れを止めてしまうし、ほかの子に迷惑をかけてしまうから諦めてきた部分が多かったんです。自分が肩身が狭い思いをずっとしてきたから同じ悩みをもつ人たちの居場所をつくってあげたかったので、そのことを学生時代からの旧友のフードコーディネーターに相談したら喜んで協力してくれて。

 

株式会社MIZUYA 代表取締役  田中美和さん

 

こんな作業を取り入れてほしい!

こんな体験をさせたい!

 

と伝えると彼女の方から、「じゃぁ、こんなのどう?」って。

毎回打ち合わせに花を咲かせる。

 

 

発達障害の子は視覚優位なので美和先生の作業工程をわたしがイラスト化して配布。

主催者だけど、わたしも家族で参加してました。

 

 

 

調理室で車エビ釣りを体験して、そのあとは自分たちで釣った車エビを使った料理を親子でつくりました。

 

 

車エビのお刺身、車エビの活き焼き、車エビの天むす、車エビのお味噌汁

超豪華でした❤

 

 

長い長いウインナーの腸詰めをつくって焼いてホットドックをつくりました。

 

 

 

男同士でデザートを作るジュニアと夫。

 

 

 

ローストビーフの親子講座は大人気❤

回を重ねるたびジュニアをはじめ他のお子さんも包丁を握ることや火を使うこと、手が汚れることにも少しずつ慣れていきました。

 

何よりも子供との時間をつくれて夫は嬉しそうでした^^

時間に余裕ができたらまた再開したいなと思います。

 

 

 

 

そして個人的な活動としては、

児童発達支援センター、放課後等デイサービスにてお菓子教室をしていました。

先生という柄ではないんですけどね(笑)

 

 

包丁の持ち方を教えてバナナを切ってもらったり、

 

 

生クリームを絞ったり、チョコソースやイチゴソースをかけたり。

 

 

そしてお楽しみの実食🍰

 

 

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こちらではひな祭り前だったのでひとり一個、雛ケーキを作ってもらいました。

 


自分で土台をつくって上にお花の絞りと葉っぱのしぼりを。

 

上手にできました。

 

 

手先が不器用で凸凹な子たちでもできることはいっぱいある。

お菓子とか料理は手順をしっかり示してあげれば見通しが立てやすいし、出来上がったあとのご褒美(食べれる)ので子供のモチベーションがあがりやすい。


自閉息子にもまだまだたくさんいろんなことを体験させて見聞を広げてあげたい!と、母は思うのでした。

 

 

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今回の「自己紹介*オリジン」を書くにあたり

アップしたいお気に入りの写真が一枚あって。

 

これなんだけどね。

 

 

高校の同級生なんだけど。

左から和食、中華、洋食、洋菓子の道にそれぞれ進んだメンバーとの白衣姿での貴重な一枚。

 

数年前にこの四人が組んで各々の分野で腕を振るい、ビッフェ形式で恩師、同級生とその家族をおもてなしするという同窓会をした後に撮ったお気に入りのやつ。

 

全員50オーバー。まだまだ現役。貴重な職人仲間です。

頑張ってる同級生が近くにいるのは励みになる。

わたしも頑張らねば!って思う。

 

ECサイトオープンに伴い、快く友情出演ありがとう^^

 

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話を戻して・・

 


なぜ店に行っても開いてないのか?

電話しても出ないのか?

 

1から説明しなくても、わたしが二足のわらじを履いていることを知ってくださってる方がいるだけでとても仕事がしやすいのです。

 

だからひょっこりわたしが自分の城へ戻った時に、「お帰りなさい!待ってたよ」って言ってくれると、自分の居場所がある!ってことがとても安心するし嬉しい。

 

 

"  脳が糖分欲したら、わたしがあなたの別腹満たします!"

 

 

あなたのデザート屋になりたい。

 

 

 次回のゲリラ速報や日々の動向はインスタのストーリーズにアップしています。

 

長くなりましたが、これが私のオリジン(原点)

お店にもわたしにも興味を持ってくださる方がいるといいなぁ。

 

なんてね。 



最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

おはなキャフェ 

オーナーパティシエ 畑山明子